リアルイベント「文学茶話会」の予習をいたしましょう。
『明日、あたらしい歌をうたう』角田光代    水鈴社



「ぼくの家のキッチンカウンターには写真が飾ってある。」

    主人公のひとり「あらた少年」の家の一隅には有名ミュージシャンの写真が置かれ、それが「おとうさんだ」と言い聞かされて育ちました。その影響もあってか、あらたは10代になると、友人たちとバンドを組むようになります。

「あなた私が見えるの?」

    もうひとりの主人公「くすか」は、あらたの母親です。両親から一切かまってもらえなかった彼女は、少女時代できるだけ気配を消して生きてきましたが、音楽と出逢って世界がひらけていきます。大学時代には有名ミュージシャンの歌を通して時生(ときお)と出逢い、結婚。すぐにあらたを授かるのですが、出産時に父・時生はすでにこの世にいませんでした。

「ぼくは河を渡ってしまったのだ」

    あらたは自身の出生の真実と、父母の人生のあらましを知ろうと、動き出します。事実を把握していくことは、あらたがまわりの人たちをより深く理解することへとつながっていくのでした。文字を追うだけで光景と音楽がくっきりと浮かび上がってくるラストシーンは、なんとも美しいものとなっています。

    ページを閉じて最初に感じたのは、小説の原型に触れられた、という手応えでした。
    まずは作者の好きなものがあって、文章によってかたちにしたいという思いがある。次いで、それを最もよく伝える構成や語り口や展開が吟味され、ひとつらなりのストーリーが編み上がっていく。そんなプロセスをていねいにたどった作品だという感触があります。

    登場人物たちに生きる力を与えるのは音楽で、そのすばらしさが讃えられていますが、ここでいう音楽はほかのものにも置き換えられそうです。自分の生を支える何かが見出せたら幸せで、それは音楽でもいいし何だっていいのです。
    作者の角田光代さんはインタビューにこたえて、
「小説を書くことの楽しさを久しぶりに見いだせた」
    と述べていますが、読者としても、読むことの楽しさを再確認することができる一冊になっています。

    書く側が楽しいと読むほうも楽しい、というのは真実だとおもいます。
    少々話が飛びますが、先日、写真家の上田義彦さんにお話を伺う機会がありました。いわく、
「『写真は鏡だ』と、僕は思っています。撮り手である自分の身に起きたのと同じ経験や感情が、その写真を見る人の身にも起こります。撮影した瞬間に僕が幸福な状態であれば、見る人も同じく幸福な状態に浸れる。『イマイチだけど、まあいいか』などと思いながら撮っていたら、その写真を見る人も『まあこんなものか』と思うに決まっています」
    とのこと。
    この「鏡の原理」は写真表現にかぎらず、すべての創作に当てはまります。絵であれば、画家が筆を置いた瞬間の状態や感情が、画面にキープされ、見る人にそのまま伝わっていく。小説ならば作家がその一行を書いたときの気持ちが、読者にも届く。そういうことが、作品を通していつも起きているのでしょう。

    だれかひとりの経験や感情が、作品を通してひろく伝播していく。おもえばそれは魔法のようです。
    そんな奇跡のような瞬間を、できるだけたくさん味わいたいもの。『明日、あたらしい歌をうたう』を読むと、そんな気分にさせられます。